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僕だって他力本願に生きたい

大学生ゲイの諸行無常な日々

はっきりしない自分

僕は同性愛者だ.LGBTで言うところの「G(ゲイ)」である.中学校の頃には,もう分かっていた.女性に対して何かを感じたことが一度もない.そして,思春期を過ぎてからはその傾向がより明確になり,大学に入って以降,マイノリティとしての社会的立場を徐々に自覚するに至った.

別にそのことで悩んではいない.悩んだ時はあったが,同性愛者であるという点そのものについては,とっくに気持ちの整理は済んでいる.それは誰しもが通る道で,LGBT関連でなかったとしても,他にも様々な側面で,すべての人が何らかのマイノリティに属しているし,自分なりの向き合い方というものを見つけていくものだと思う.

 

しかし,同性愛者であるという括りは如何せん大き過ぎることが,段々と分かってきた.世の中はグラデーションである.白か黒かで分類できないことばかりだ.しかし,分類しないことには始まらない.このジレンマが,問題を引き起こす.

たとえば,「ゲイよりのバイ」という表現がある.どちらかと言うと女性よりも男性が好きな,同性愛者よりの男性が,これに相当する.そういう人は,完全なゲイでもないし,純粋なバイでもないと自分で思っているから,あるいは思われたくないから,わざわざ「ゲイより」などと表現するのだろう.そういう表現を,ゲイだと思われたくなくて逃げ道を用意していると嫌う同性愛者もいるようだ.

ぜっくりとした分類しか存在しない世界では,個人差や微妙な差は無いものとして扱われる.知識の整理が目的のお勉強なら,はっきり分類して曖昧さを残さないにこしたことはない.しかし,それが自分のアイデンティティに関わってくると,当事者としては腑に落ちない.バイとして一括で扱われると,「ゲイより」であるという自分のアイデンティティの一部が無視されたような気がするのだろう.

 

翻って,僕も似たような事情を抱えているようだ.僕はゲイよりのアセクシャル(無性愛者)だと感じることが多い.どうやら平均的なゲイと比べ,性的に淡白過ぎるのである.恋愛感情は抱くものの,好きな人と一緒にいられたら,それ以上の行為がなくても平気だし,ゲイの業界では普通に行われているような出会い頭でいきなり性行為なんて,考えるだけで疲れる.

ただ,アセクシャルというのは先天的でどうしようもない場合を本来指すと思われるので,僕のように性行為に関心が弱いだけでアセクシャルを名乗るのは不適切かもしれない(少なくとも日本では,厳密にはノンセクシャルと言うべきである).他者(同性のみ)に恋愛感情を抱くという点では,確かに僕はアセクシャルではなくゲイなのだから.ただ性的欲求に乏しいだけである.

 

分類の呼称は置いておいて,個人的に面倒だなと感じることは,ゲイという括りが大き過ぎることだ.一般の人には,ゲイというだけで特殊で手に余ると感じるかもしれない.しかし,実際にはさらに様々細かい分類があって,誰ひとりとして同じ立ち位置にはいない.「ゲイということは,オネエ口調で話すの?」とは母親が僕にした質問であるが,これも典型例を型にはめて理解している例である.

 LGBTという言葉も,たった4種類のジェンダーしか含有できていないという問題が指摘されており,変更が検討されているらしい.名前を与え分類するという行為は,事始めには適切なのだろう.しかし,相手がグラデーションの人間である以上,本質的に理解しようと思ったら,結局は一人一人をよく見ることで,型から外して捉えることが大切なのだろう.■