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僕だって他力本願に生きたい

大学生ゲイの諸行無常な日々

あの日 -前篇-

僕がいよいよ耐え切れなくなって,悩みがあると彼に切り出したのは,ゴールデンウィークが始まる前日の夕方だった.今日を逃せば一週間近く彼に会えなくなる.このまま時間だけが過ぎることは辛すぎる,言うなら今しかないと思った.

帰宅する準備を始めていた彼を呼び止めて,話したいことがあると言った.彼は最近僕の様子がおかしいのを薄々気付いていて,やっと話をする気になったかという面持ちで椅子に座り直し,心配そうに僕の顔色を見た.

「僕は……」

とだけいって,また数十秒,沈黙してしまう.一体何を恐れているのだろう.恐れるべきなのかどうかも分からない.「無理して言うことないよ」と彼が柔らかい声で言った.それを聞いて,僕は覚悟を決めた.

「僕は……ゲイなんだ」

彼は一瞬キョトンとした.そして平然と「え,俺もだよ」と言った.その答えを聞いた時,僕は馬鹿みたいな顔をしていたと思う.彼の顔を呆然と見つめながら,世界がグラグラする感覚を味わっていた.自分はこんなに動揺するのか,と衝撃を受けて呆然としていた.彼はからかうように「大丈夫かー」と言って笑った.

 

僕は彼にカミングアウトすることだけを考えていたから,どんな風に切り出すかしか頭になかった.相手の反応は何通りか予想していたものの,彼自身がゲイである可能性について,そこまで期待はなかった.それなのに,あんなにあっさりと彼もゲイであると言い放つなんて.

これは大変なことだぞ,といよいよ気が付いた.本当に馬鹿だったと思った.自分の狭い視野と乏しい想像力を嘆いた.僕は未だに,現実でゲイに会ったことがなかった.そのことがいかに世間知らずなことなのか,急に認識させられた.

一般的なゲイにとっては(僕のように彼女という抑止力がない場合は),今ではツイッターやアプリでいくらでも出会いがあるのだから,たとえ大学の人間関係の中でゲイを公言していなかったとしても,年齢相応の経験があるはずなのだ.

出会いを求めれば,その日の内にでも好みのゲイと実際に会える時代である.彼の決して人見知りとは言えない柔軟なコミュニケーション力や人懐っこい性格も考慮すれば,人間関係の経験値が高いことは明らかだった. 

  

僕がカミングアウトすべきかどうかだけで,あれほど真剣な表情をしていたことについて「悪いけど,浅いなと思ったよ」と言われ,その通りだと思った.彼にとっては,この歳にもなって僕がゲイであることだけを深刻そうに打ち明けたのは滑稽に見えたようである. 

茫然自失の僕を横目に彼が帰ると言うので,僕も慌てて一緒に大学を出た.そして,初めて彼の下宿に行った.小綺麗な部屋だった.座卓を囲んで斜向いに座り,僕は壁にもたれ掛かって何とか気持ちを落ち着かせようと努めた.

彼と出会って以来,あれほど悩んできたことに,ついに区切りがついたのだ.しかし僕にはまだ,彼に伝えたいことが残っていた.今なら何でも言える気がして,僕はさっきよりはずっと簡単に,彼のことが好きだと言った.容姿が好きなのか,性格が好きなのか,ゲイだから好きなのか,自分でもまるで整理できていないけど,多分全部の理由で好きなんだと言った.

彼は苦笑いした.そして,現在付き合っている相方がいることを教えてくれた.その情報に僕は再びショックを受けたが,これ以上動揺する余地などすでに残っていなかった. ただただ僕の心は,これまで感じたことのなかったやり場のない想いで静かに満たされていった.(続く)